盗味は著作権侵害の夢を見るか

今日は某元食べ物商売の人とへべれけになるまで飲みながら話せて楽しかった。微妙な味の差とコストのバランスが商売の成否を分けるという話で盛り上がった。ということで今日は食べ物商売の話である。

瓶詰めで売られているお酒は、ブレンダーと呼ばれるプロの手により、多くの酒が混ぜ合わされて特定の味が作り出され、どの瓶の味も同じに感じられるよう品質が維持されていることをご存知だろうか。

2万人近い社員を抱える某大酒造メーカでもブレンダーは10人に満たない。神に近い舌先の技で、一樽毎に全く異なる味の酒をいくつもブレンドして、一般人にはロット毎の味の差を全く感じさせない一定の味を作り出している。

一つの安くて美味しい、商売になる、信頼されるブランドとなる酒の味が生み出されるまでには、神の舌と鼻を持つブレンダーの手により気が遠くなるような試行錯誤が行われ、数え切れないほどの多くの味の創造が行われ、そしてそれらが吟味され淘汰されてようやく商品と決定されるのだ。このプロセスは紛れも無く芸術的作業である。

しかし、他社に同じく味の差を見極められるブレンダーがいれば、全く異なる工程を経て生み出された酒を組み合わせて、素人に区別できない味の酒ををブレンドすることは可能である。

こうして創造された芸術的な味を真似して作られた偽酒、盗作ないしは盗味された贋作酒が、著作権違反だとされたことは未だかつてない。そしておそらく未来にもないだろう。

視覚的に似た創造的商品については裁判官が不当だとか違法だとかあるいはそうでないとか「区別できる」とされ、一方、味覚的に「似た」創造的商品については「区別できない」のが当然であり、何ら問題にされないというのは、あまりにも明白な矛盾である。こうした事実は、法曹というものが、あるいは法律というものが、いかに非科学的、非論理的であり、傲慢で非人道的であるかを明確に物語っている。そしてまた「著作権」ないしは「知的財産権」なるものがいかに浅薄であるかを明らかにしている。