敢えて言うなら噴出するのは飯

「蒸気漏れではなくて、噴出だ」との記事を見かけました。事故の大きさからより正確に伝えたいというジャーナリストの気持ちからだとは思うのですが、一般人の思う「漏れ」とも「噴出」とも全くことなる現象だと言った方がいいと思います。逃げる隙もなく一瞬にして4人もの人を死に至らしめるまで痛めつける現象だったということさえ正確に伝えれば、その表現が「漏れ」であろうと「噴出」であろうとさしたる違いはないかも知れません。

いやまぁ、「漏れ」の話題でなかったならば、この日記でとりあげる必然性が薄れてしまうといいましょうか、言い訳です。

この事故(あるいは事象)が起きた責任は関西電力にあるだとか、日本アークにあるだとか、三菱重工にあるだとか、いくらわいわいやったところで、真実はでてきません。もうそれは「まつりごと」の範疇でしかないことで、事実とはほど遠い話と割り切るべきでしょう。

この事故の視点として重要なポイントが2つあると思います。一つは普通の労災としての視点。そしてもう一つは原子炉事故の可能性(ひやり事故)としての視点。

既に述べたように、蒸気漏れで4人の方が亡くなったという事については、原子力プラントに関することは何もないと言ってよいでしょう。工場でのよくある労災と何ら変わるところはないのであって、事故防止についての考察や、被災者にたいする補償についての考察において、それらが不足しているかどうかは、普通の労災と比較して考えればよいと思います。

もしも「普通の」労災として扱って、それが常識的にみて安全対策や補償が「不十分だ」「おかしい」と皆が思うならば、現在の労災の扱い全般が「おかしい」のであって、論点はそちらにシフトすべきでしょう。


さて、原子炉事故の可能性としてみるならば、蒸気漏れはただちに検知され、原子炉はすぐさま自動的に運転停止されましたから、危険対策の設計どおりであり、大きく見て問題はなかったといえます。ただもっと詳細に見て、とある場所での3つあるバルブのうち2つが正常に作動しなかったなどの報道もあり、もしも原子炉事故について議論したいならば、こういったトラブル時の安全機構がどれほど完全に働いたかを検討すべきでしょう。詳細に見ていけば、多重トラブルの可能性が想定よりも大きいという結果が出てくるかもしれません。

つまり原子炉問題を云々するならば、責任論以上にぐちぐちと泥仕合的に細かいことになりますので、この論争に臨むには緻密な科学的データと正確な知識を持ち合わせていなければなりません。私はそういったものを持ち合わせていませんので、この路線で議論に立ち入ることはできず、残念ながらマスコミや市民団体の調査をとりあえず鵜呑みにし、まともそうな議論にただ耳をそばだてるしか手立てがありません。


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