自由ソフトを知っていますか?

Free Softwareという言葉をご存知だろうか?無料のソフトウェアという意味ではなくて、自由ソフトという意味なのだそうである。今まで有名な話だと思っていたのだが、少なくとも日本では全く知られていないらしい。

===================

マンションやホテルの構造計算偽装事件というのが今世を騒がしている。
《被害者》とされるマンション購入者がテレビや新聞に次々と出てきて、こんな話をしている。

《被害者》曰く、
「うちの幼稚園に行く前の子供がね。テレビを見て『うちの家、壊れちゃうんだよね』って言うんですよ。それを見ると不憫で……云々」

私は思う。
そんな子供でも「3匹の子豚」の童話は知っている。その童話を一言乱暴に言うと、家は見栄えでなく丈夫さで選べという訓話だ。この《被害者》はこの童話すら知らなかったのだろうかと。

《被害者》曰く、
「モノ造りに関わる人間としてね、設計を偽装する人がいるなんてあり得ないと思います……云々」

私は思う。
この人は「検収」という概念を全く知らなかったのだろうか。そんな人間がモノ造りに関わっているなどと臆面も無く言えるほうがあり得ないと思います。

裁判などで被害弁済を得るためには無辜(むこ)の被害者を徹底的に装わないといけない事情があるにせよ、いや逆に、政府や物件の売り手から金をまきあげたい下心が見え見えであるからこそ、これらの物言いには胸糞悪いものを感じるのだ。

私は、もう死語となったらしきある言葉を思い出す。「自己責任」って概念はもう失われてしまったのだろうかと。

しかし「自己責任」を問う前提として、全ての情報が公開されていなければならない。マンションの購入時に、その物件の情報を得るためには途方も無い時間とエネルギーと交渉術とお金が必要なのは、私もよく知っている。

私としては、《被害者》達は、人生を賭けるとも言える高額な買い物をしようとしたときに、これら情報を求めるための(買おうとするものそのものに比べて)ほんの少しのコストを惜しんだために、落とし穴にはまったように見えて仕方が無い。

が、やはりそれらの、不動産購入時の判断に必要な情報は「自由に」得られるとは言いがたいと思う。建築業界全体が、顧客に対して物件の情報を公開しないことを悪習としている。そして特に問題なのは、政府や建築確認機構(民間、官公問わず)までもが情報を隠していることだ。

===================

建築物の審査が正しく行われているのをどのようにチェックしたらよいかという議論がなされている。

最も一般的な回答は、「第三者機関による再チェック」だろう。しかし、その方法は明らかに駄目だ。その理由は非常に簡単である。天下り先を1つ増やし、利権まみれの能無し団体が1つ増えるだけだからである。他人、特にお役所関係、権力関係に頼るのは何の効果ももたらさない。彼らを信用してはいけないのだ。

崎山伸夫さんが、「構造計算ASPというのはどうだろうか?」
http://blog.sakichan.org/ja/index.php/2005/12/31/
というエントリをブログに書いて、構造計算プログラムを用いた計算データ偽造を防ごうとする手法が提唱されている。

essaさんが、「構造計算書公開=オープンソースマンション」
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20051124
というエントリをブログに書いて、構造計算プロセス全体をオープンにしようという手法が提唱されている。

どちらも参考になる意見だと思うが、前者は政府や業者の利権構造が変化しないので、隠蔽体質は変わらないという問題が残ると思うし、後者は個々の物件の計算プロセスの正しさをチェックするコストが下がらないので、結局(素人である購入者も含めて)誰もチェックしない(できない)という問題が残ると思う。

どうして、崎山さんやessaさんのポジションにあって自由ソフトを提唱しないのだろうか?

===================

私は(オープンソフトではなく、)自由ソフトを提唱しよう。

プログラム自体は、建築側や、政府側の手によって作るのではなく、情報隠蔽から自由になるために、無用な利権から自由になるために、不特定多数の大勢で作る。チェックも(個々の建築物件ではないので)1人ではなく、みんなでできる。

どうやら現在使われている構造計算プログラムは、設計するためのものであって、弄れる数値や、計算過程の入出力やらがあって扱いに複雑すぎるようである。「このようなモノを建てます」という完成データを入れれば、構造計算して結果だけ(極端に言えばOKかNGだけ)を示してくれるソフトがあれば、購入者が個々の物件に対して判断するには十分なはずだ。

自由ソフトを(政府や、建築業界とは独立して)みんなで作る一方、個々の建造物の(現場で検証可能な)生データを、一定の電子書式で公開することを慣例化(ないしは義務化)するよう働きかけていく。

そうすれば、利権などによって情報が隠蔽されることなく「自由に」、建築物の構造計算のチェックが誰でも低いコスト(値段だけではない)で「自由に」、できるようになる。
情報が十分公開されて、家を購入しようという人々が、自己責任をまっとうできる環境が整う。


そういったものが利権の壁に妨げられることなく実現できるかどうかはわからないが、積極的にそういった方向に動いている人が無さそうなのが、日本の「自由」の無さを顕しているように思える。