知財とはそもそも(縛)

爆笑や自爆の「爆」ではなく、自縄自縛の「縛」

のま猫を糾弾する人は「権利」について都合が良すぎるのではないか」
http://blog.goo.ne.jp/simauma_dx/e/29efdb9001448b1a2c7fe5943d32d7cf
だそうだ。

いや、きっと誰かが書くに違いないとは思っていましたよ。というか、avexの松浦社長はきっと内心こう思ってるに違いないし。

しかしまぁ笑えるのは、トラックバックでの賛辞の雨嵐。批判トラックバックは削除してるのかも知れませんが。

ここまで多重に勘違いしてへんてこな方向に堂々と引っ張っていけるのは見事だと個人的には思うのだけれど、多くの人にはとっても正論に見えるものらしい。(色々な意味で、一般人の感性とはそういうものだと身にしみたので、もうあきらめてます。)

著作権」(ここでは著作者人格権を含む)と、いわゆる工業所有権とはその「目的」が全く違うのです。本来同じ観点で議論するのは、長さと重さを同じにくくって議論するのと同程度にむちゃくちゃなのです。そりゃ、「長さ」が大きければ、「重さ」も大きくなるという相関性がある場合が多々ありますが、その程度の関連しかないのです。

私は言いたいよ。目的が違うんだからディメンジョンが違うだろって。ベクトルは直交してるだろって。

ところが最近流行の「知的財産権」でくくるとあら不思議、同列に議論できるような気分になってきますね。特に「権利」の意味内容が全く異なるにも関わらずに、それを無視して。

著作権(くどいが「人格権」も含んでいるのだ!!!!)を「財産権」に言い換えるなんて、誰が考えたのかこれ以上にないくらい非常に狡猾ですな。わはははははははは。

権利を叫んで「人格」をみな「金」に置き換えていくのだ。民衆よ。やれ!もっとやれ!クビを絞めるのだ。金にまみれながら誇りを失って死ぬまで。もちろん、私自身もこの手を緩めはしない。