はじき出された「しんちゃん」

有名漫画「クレヨンしんちゃん」の著作権者が中国でキャラクター商売をしようとしたところ、既に別の組織に商標登録されていたため「商標権侵害」ということで市場を締め出されたというニュース。

「偽「しんちゃん」が商標登録、本物駆逐 中国・上海 」(http://www.asahi.com/international/update/0222/008.html
クレヨンしんちゃんグッズ、コピー商品登録で本物撤去 中国 」(http://www.sankei.co.jp/news/050221/kok071.htm
など。

昨夜見た動画ニュースでは、著作権者(著作者でないところに注意!)が「知的財産権のルールをちゃんと守れ!」というようなことを叫んでいて、滑稽であった。

現状の知的財産システムに盲目的に従う(以外手立てのない)人々、つまり、弁護士や弁理士にかかれば、「ルールを守ってないのはテメー(著作権者)だ!馬鹿。」となる。中国で商標登録した奴は「正しい」し、他人が商標権を持っているにもかかわらずそこでキャラクター商売するのはルール違反だし、通俗的に言えば「悪」である。

著作権者というからには商売人なわけで、中国で商売する(かも知れない)気持ちがあるなら、中国で商標をとっておくのは当たり前のことであって、それを怠っていたなら中国で商売してはいけない。中国市場と中国人をみくびっていましたと自白しているようなものである。

とはいうものの、この件を機会に言わせてもらうならば、こういう著作者と無関係な者が権利を持ててしまう商標という仕組みそのものに常々疑問を持っているので、ここで色々ぶちまけてみたい。

最初に断っておきたいことに、私は商標というシステムが「好きでない」。好きでないために、よく知らない。よく知りもしない上に今日は裏をとる気もないので、この記事はいつもにもまして真実度は低い。ちなみに、私は商業コンテンツに求められている真実度は30%程度だろうと思っていて、私が最大にまじめに書いているときの真実度がそれぐらいである。

私は知的財産権システムという制度について、優れた仕組みだと考えており、知的財産権制度が普及していくことを好ましく思っている。あるいは普及すべきだとさえ思っている。

だが、私は知的財産権システムならどんなものでも素晴らしいとは全く思っていないばかりか、今著作権について日本が向かおうとしている方向性には強く反対している。その理由は、今の日本が進めようとしている知的財産権システムは、知的財産権者優遇だからである。私は、知財権者の権利をもっともっと削いで、創造者(著作者や発明者)とユーザをもっと優遇すべきだと考えているのだ。

ほとんどの知財権には、創造者と知財権者が存在するのだが、商標には(実質的には)創造者がない。権利者だけなのだ。このことこそが、私が商標というシステムが好きではない理由である。

知的財産権システムについて、これからもっと考えてよくしなければならないと思っていることは、知財というのはゼロから生まれないことが多いということである。誰かの成果に「ただ乗り」して生まれることが多いのだ。

ブン屋が、町行く人をとっつかまえ、あるいは事件の被害者につかみかかってインタビューし、そこで聞いた話を元に記事を書く。記事には著作権が認められるが、貴重な意見や体験を話した人には何の権利もない。新聞社が民衆の知恵にただ乗りしているのだ。

例えば、美しい建築物の写真を撮影したとする。写真には著作権があるが、建築物には著作権はない。写真家が建築者の成果にただ乗りしているのだ。著作物である絵を写真に取ると、著作権について収拾がつかなくなる。これを恐れて絵の権利者は、(契約に基づかない限り)写真を撮らせることはない。

ソフトウェアなどは他人の著作物たるソフトウェアを利用してでないと巨大なシステムを作ることはできない。著作物の上に著作物をのっけることになる。土台になったソフトウェアの権利者も、その上に柱を立てたソフトウェアの権利者も権利を主張したいはずだ。この問題の解決方法のひとつがフリーソフトの仕組みで、この観点からフリーソフトの仕組みを考え広めた連中を高く評価する。

特許システムは土台にも柱にも屋根にも、重ならないように権利が与えられる仕組みになっている(少なくともお題目上は)。この点で特許システムは素晴らしい。

さて、今日の話題は商標である。

キリンビール麒麟は登録された商標である(調べなくてもまず確実にそのはずだ)。麒麟という架空の動物を考えたのはキリンビールか?違う。麒麟という動物の絵柄を世に広めたのはキリンビールか?否。

じゃぁキリンビール麒麟に対して何かしたのか?断言しよう。何もしていない。100%のただのりである。

ここが商標というシステムが決定的に駄目なところである。100%のただ乗りを安易に認めてしまうのだ。クレヨンしんちゃんを作ったわけでも、プロモーションして世に広めたわけでもない奴が商標登録して、その権利を我が物にできる。先に「市場性がある」と考えて、行動し、わずかばかりの投資をしたという理由だけで、権利を独占できるのだ。驚くなかれ、過去の、あるいは外国の人々の苦労して生み出し、広めた成果をまるまる「独占」し、ただ金儲けに使い、価値がなくなるまで使い果たすことができるのですぞ!

商標は、「作者」不在の権利なのだから、その権限範囲はもっともっと抑制されなければならないことは明らかなのである。そうでなければ、これからますます市場から締め出された「しんちゃん」が生産されていくだろう。著作権者は、商売の機会を逃したと地団駄踏む程度である。が、「しんちゃん」には、当たり前だが作者がいるのである。作者にとっては驚き呆れ、あるいは侮辱をうけた気分にさえなるだろう。他の商標だって、本当は誰かが「創る」のだ。それを忘れてはいけない。

商標だけでなく、知的財産権システムは、どんなシステムでもただ乗り(フリーライド)を容認してしまう部分がある。これをどのように解決していくかはこれからの大きな課題であると私は考えている。

現在知財システムは、知財権者に権利を集中させればさせるほど(お金を資本として集中させるのと同様に)、市場発展(経済発展)に繋がると考えられて政府はあれこれやっている。が、私は、知財は(お金をキャッシュフローして動かすのと同様に!!)動かせば動かすほど市場発展(経済発展)に繋がると考えている。知財を流動させるためには、知財の上に知財が乗ったときに、土台の権利者も柱の権利者もどちらも納得がいく、(知財を簡単に積み重ねることができる)イージーライドシステムにしていかなければならないのだ。

……というようなことを考えるのが、私だけなのだろうか。他にも叫んでいる人がいてもよさそうなものなのだがなぁ。世の趨勢からはじき出されているのは、しんちゃんではなく、どうやら私のようである。