知財は経済原理を破壊するか

ちまたでは青色レーザの発明をめぐって職務発明の報酬だの、「アイコン」とは何かとかで、知財が結構な話題になっている。これらにもコメントをつけたいところだが、思いついたことからメモっていかないと、鳥頭の私は大事なことから忘れてしまうのだ。

知財を経済原理の中で考える時、動産や不動産、あるいは「権利」の売買と決定的に違う特性を考慮しなければならない。それは「売っても」売り手にとっては何も減らないということだ。(もちろん自分の商品のシェアが下がるかもしれないという点では減るが、それはパイがこれ以上大きくならないところまで行っての話である。)

この特性の怖いところは、マネーロンダリングに最適だということだ。売り手は「売っても減らない」権利を(事実上)空売りして、買い手は「買ったところで処分に困らないもの」を買い、そして「お金」だけが動く。

知財の取引は、印税やロイヤリティなどのように、実際の商品売買高に比例して支払いが行われるものと決めてかかっている人もいるようだが、原稿買取もあるし、オプション契約もある。つまり全く商品として売れる見込みもない知財を途方もない金額で売買することに何の問題もない。少なくとも現在は。

もちろん、直接的に無価値で実施するあてもない特許を高額でやりとりすることを、不正競争防止法だかなんだかの法を拡張して摘発対象とすることは、さほど困難ではないことなのかもしれない。

だが、実施する能力もない相手に「価値ある特許の実施権」を売るという方法はマネーロンダリングとして取り締まれるだろうか?「自身で実施しなくても、ライセンス生産させるつもり」という状況と、単なるマネーロンダリングは区別しにくい。

さらに、例えば「価値ある特許」と「無価値な特許」をクロスライセンスする方法がある。本来無価値な特許しか持っていなかったところが、価値の高い特許を手にして、(有用な特許を含んでいるがゆえに)付加価値の高い商品を(その知財の価値には見合わないような)ただのような値段で大量に売りさばくことができるようになって、結果的にお金を動かすことができるだろう。

 「労働力」の競争力がなくなっていく先進国において、知財戦略は不可欠であり、知財立国を標榜するのは結構な話である。だが、知財のこうした危険性を認識して議論している経済学者はどれほどいるのだろうか。

注1)
このようなむちゃくちゃな状況を抑えるための、最初の一歩となる基礎的な措置は既に知られている。知財の二次譲渡を禁止することである。

注2)
GPL v3は、「実施権レフト」のようなものを組み込もうとしていると聞くが、二次譲渡の問題をどう解決するかという点で最初からつまずいている。