警察と検察は犯罪をでっちあげる

三井環氏に、有罪判決が下ってしまった。

報道を普通の感覚で読めば、「例え検察の不正を暴こうとしていたとしても、暴力団の接待を受けたことは罪だろ」と思うだろう。また、「仮に今回の事件が有罪でも、検察の不正はそれで暴けばいいではないか」と思うだろう。

だが、それはマスコミを使ったミスディレクションにまんまとかかった大間違いである。

検察は人を有罪に陥れるために、事実でないことをでっちあげることに何の躊躇もないのだ。実体験した私が言うのであるうから間違いない。三井氏の事件も、彼の嫌疑を詳細に追えば、検察が一部暴力団と共謀したでっちあげである可能性が極めて高いこと感じられるだろう。

そして「それは一部の検察官だけだろう」という、通常なら正論となるべき指摘は、検察には適用できない。なぜなら検察は自ら「検察官一体の原則」を標榜しているからである。

裁判とは、真実を見極めて判決を下すものだと思われているだろうが、そうではない。有罪にした場合に、言い逃れようのない手続き上の不備がないかどうかがチェックされるだけなのだ。要するに、よくある無責任な役所仕事のひとつでしかないということだ。

三井氏は、今回の事件で、多くのものを押収されたであろう。賭けてもよい。それらは絶対に彼の元には返らない。

無罪になったとしても、ハードディスクなどは破壊されて、あ、いや自発的に壊れてしまっていることは100%間違いないだろう。三井氏が検察の不正を暴くための証拠は永遠に失われたと考えてよい。